九電グループ
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沿革

1937年(昭和12年)
イメージ:創立時本社社屋
創立時本社社屋
創業
機械工具・鋼材2次製品・送電線鉄塔及び鉄構等の販売を目的として「斎藤奨商店」を創業。
1951年(昭和26年) 「株式会社斎藤奨商店」を設立
戦後の復興需要を睨み、電力インフラの急速な整備に併せて、九州電力(株)を主要な訪問先として営業体制を強化。
1952年(昭和27年)
写真:上椎葉ダム
上椎葉ダム
上椎葉発電所建設資材受注
国内最初のアーチ式ダムである「上椎葉ダム」を含む上椎葉発電所の建設では、膨大な量の「鋼材・鋼管」を中心に受注し、本州からの船舶輸送や九州域内のトラック輸送等困難を極めたが、工事進捗に併せ円滑な納入を完遂。
【成長期】
1961年(昭和36年)
軽量腕金を開発
電柱のアームは木製が中心の時代。一部に「アングル腕金」が使用されていたが、強度に問題があった。
当社は、大阪の鉄工メーカーに「角パイプ」の試作を依頼し、それを材料にした腕金を制作。九州電力に試用した結果、強度・経済性・取扱いの長所が認められ「軽量腕金」として全面に採用。
1970年(昭和45年) 斎藤電材会を設立
営業基盤の「電気設備部門」に続く柱として「電材関連部門」の整備を進め、各地区の電材店と協定を結び、「斎藤電材会(販売協力窓口体制)」を結成し、営業活動の基盤を構築。
1974年(昭和49年) 西九州営業所開設
本社内に佐賀・長崎地区を担当する西九州営業所を設置し、長崎地区に事務所を開設。
先に開設した「宮崎営業所」「北九州営業所」「大分営業所」「鹿児島営業所」「熊本営業所」に続いて、佐賀県を除く九州全域にわたる営業網を確立。
1975年(昭和50年) FK式ハンドホールを共同開発
電線や通信線の地中線工事が増加する中、現場打ちのコンクリート製が常識であったマンホールを、プレハブ化のノウハウを有する不二高圧コンクリート(株)と共同開発し、全国展開。
1981年には建設省(現国土交通省)の「電気設備工事標準図」に「FK式ハンドホール」として採用。
1976年(昭和51年) 社名変更
社員数130名、年間売上高60億円を超え、更なる飛躍に向けて社名を「株式会社斎藤奨商店」から「斎藤電機産業株式会社」に変更。
1978年(昭和53年) 本社移転
福岡市箔屋町(現店屋町)から現在の福岡市中央区薬院二丁目に本社を移転。
1990年(平成2年) 配送センター(現 誠新物流(株))改築
取扱い商品の拡大等に伴い独身寮を併設して改築。
1994年(平成6年) 社名変更
活動分野の拡大に伴い、新しい企業理念と新しい「シンボルマーク」「カラー」を制定し、社名を「斎藤電機産業株式会社」から「誠新産業株式会社」に変更。
1999年(平成11年) 九州電力のグループ会社に
九州電力(株)と資本関係のある他社9社と共に、新たに九電グループ会社となる。
2008年(平成20年) 不動産賃貸事業
福岡市中央区において定期借地による不動産賃貸事業を開始。
2009年(平成21年) 地域環境問題への取組みとして太陽光発電関連事業への資機材を拡販
2019年(平成31年) 「SEISHIN ビジョン2030」制定
2030年のありたい姿を描いたビジョンを制定。
2024年(令和6年)
写真:オール電化賃貸マンション
本社の向かいにあった別館跡地にマンション「シンセラティ薬院」(81戸)をを建設。
(2024年6月28日竣工)
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